icon浜坂の先人 加藤文太郎

加藤文太郎は明治38年3月11日、新温泉町浜坂の浜岡町にて、加藤岩太郎・よねの四男として生まれました。 他に姉が二人。長兄は早世されたため、次兄善蔵氏が実家の跡を継ぎました。 加藤文太郎は、幼少の頃、病気がちで、文太郎という名前が悪いということで、林太郎と名前を変え「りんちゃん」と呼ばれておりました。 その後、文太郎はすくすくと成長し、家業の漁師の手伝いで相当足腰は鍛えられていました。

大正8年3月、浜坂尋常高等小学校高等科を卒業して、神戸市の三菱内燃機製作所(現三菱造船所)に製図修習生として入社いたしました。 夜間の神戸市立兵庫実業補習学校卒業に続き、大正12年には兵庫県立工業学校特別科工業化を全期間皆勤賞で卒業されました。

この頃から神戸徒歩会の人たちと六甲山を始め、山歩きをするようになりました。 また、兵庫県下の国道・県道を歩き始め、歩いた区間を赤鉛筆で地図に印をつけて全区間制覇しました。 大正15年3月、神戸工業高等専修学校電気科の修業3ヵ年の課程を卒業します。(現在の神戸大学工学部にあたる)

このように7年間も、働きながら勉学に励み、翌年には三菱内燃機株式会社の技手に昇進しました。 山登りを始めた当初は、夏山ばかりで、地下足袋がトレードマーク、地味な登山スタイルで生涯を通しました。 質実剛健、但馬人独特の生真面目さ、粘り強さに加え、頑強な身体能力で、単独行へと必然的に進んで行きます。

昭和2年頃から藤木九三氏の主宰するRCCに参加して本格的な登山をするようになります。

 
  

icon加藤文太郎ふるさとの碑 建立まで

加藤文太郎ふるさとの碑(クリックで拡大)

新田次郎の小説「孤高の人」や谷甲州の「単独行者」のモデルで、「不撓不屈の岳人」加藤文太郎は、新温泉町浜坂に明治38年3月11日に生まれました。 新温泉町浜坂の芦屋城址の城山園地から、日本海を一望しながら約900m、山道を(孤高の道)抜けると、浜坂の市街地を見下ろす高台に石碑が建てられているのが「加藤文太郎ふるさとの碑」です。


昭和45年、全国高等学校登山大会が但馬で行われた際、当時、高校の教師であった山本茂信先生は、「折角全国から大勢の高校生が加藤文太郎のふるさとまで来てくれるのに、何もなかったでは心さみしい」と、多くの関係者に掛け合い、顕彰碑が建立され、盛大な除幕式が行われました。


加藤文太郎ふるさとの碑は、新田次郎氏や夫人の藤原てい氏を始め、全国から多くの文太郎ファンがこの地を訪れ、彼を愛する人達の交流の場所となっています。


数年前には、『単独行者」を書いた谷甲州さんや高校の校長先生を最後に退職された後、日本列島を鹿児島から北海道まで徒歩で縦断された山形の長澤明先生も、その途中に立ち寄られました.


二十年以上も前から、浜坂の山にブナの木を植えて下さるグループがありますが、この会の創設者は加藤文太郎と非常に縁の深い津田周二さんであり、そのメンバーも多くが加藤文太郎の山仲間であった方々で、現在も引き継がれてその活動が続いております。

宿ブログ はまさか日記では、澄風荘の主人が加藤文太郎の生い立ちや人物像について詳しく書いています。
加藤文太郎のこと1~16 目次|はまさか日記~浜坂温泉・澄風荘~

      

加藤文太郎の写真

加藤文太郎 文富ケルン

新温泉町浜坂にある加藤文太郎のお墓

加藤文太郎の妻花子さんが所有するスクラップ

icon幻の加藤文太郎著遺稿集『単独行』

単独行は山行のバイブルとして永遠のベストセラーと言われています。

その原本が茶色のカバーのこの加藤文太郎遺稿集「単独行」です。新田次郎の小説「孤高の人」モデル加藤文太郎が昭和11年1月 槍ヶ北鎌尾根で遭難したとき、多くの文太郎の仲間が捜索に集まりました。

捜索に掛かるカンパも集まり、その余ったカンパの資金で加藤文太郎の山行の記録として「遺稿集」が編集され、限定200冊のこの本が印刷され、文太郎の捜索に協力された人々にその御礼として配布されたものです。 その遺稿集が戦中、戦後の永い時を経て僅かに残されているそうで、その噂は聞いたことはあるが希少なものだと実際認識していました。

ところが、先日神戸のとある古本屋でこの「遺稿集」単独行が見つかったそうです。その売価が何と16,000円。 ちなみに写真の「遺稿集」単独行は加藤文太郎の岳友故多田繁次さんから寄贈されたもので、新温泉町の加藤文太郎記念図書館に保管されているものです。

一般的には昭和 16年朋文堂から商業出版物として初めて刊行されて、世の中に広く知られるようになりました。 この単独行は、山に登る人にとっては「山のバイブル」として必読書になっており、その後、増版に増版を重ね、昭和45年二見書房が発刊し、平成12年山と渓谷社が、二見書房から版権を買い取り現在にいたっております。

加藤文太郎は小説や漫画など様々なメデイアで作品化されています。山と渓谷誌の読者アンケートでは、孤高の人が常にトップにランクされ、同誌の連載小説「単独行者」を谷甲州氏が発表。コミック誌でも坂本眞一氏が加藤文太郎をモデルとした森文太郎を主人公として漫画版『孤高の人』を描かれました。

私家版加藤文太郎単独行(クリックで拡大)

      
単独行

加藤文太郎の著作集

谷甲州 単独行者

『単独行者』谷甲州

坂本眞一 『孤高の人』

『孤高の人』坂本眞一

孤高の人文学碑

iconふるさとの先人たち

昭和の初期、単独で厳しい冬山を次々に走破して小説「孤高の人」や「単独行者」などのモデル加藤文太郎はじめ、「 東の啄木、西の翠渓」与謝野鉄幹に言わしめた前田純孝など多くの先人を輩出しております。新温泉町では昔の造り酒屋を改装して先人記念館として、彼等ふるさとの先人の功績を顕彰しています。

前田純孝

薄幸の歌人前田純孝歌碑

先人記念館「以命亭」

先人記念館「以命亭」

加藤文太郎記念図書館

加藤文太郎記念図書館